何者にもなれないぼくたちは

日々思った事、やってることの備忘録

名古屋市美術館「モネ それからの100年」

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 こんにちは
名古屋市美術館で開かれている「モネ それからの100年」展に、先日行ってきた。
美術館には時折足を運ぶものの、「好きなものを好きなように楽しむ」がモットーであるので美術史についてキチンと勉強したことなどなく、決して芸術には明るくない。
しかし印象派の作品は何も考えずに見ていられるので気が楽だ。

 

まるで森の洋館、名古屋市美術館

名古屋は中区、伏見駅から徒歩8分の白川公園内に名古屋市美術館はある。

 

巨大な球体(プラネタリウム)が特徴的な名古屋市科学館を左手に見ながら公園の奥へ足を進めると、木々の中にひっそりと建つ名古屋市美術館が姿を現す。

中銀カプセルタワービルで知られる建築家・黒川紀章氏が手がけた建築物で、あらゆる装飾の要素を含みながらも、優雅さや周辺の森の調和性が保たれ、森の中に佇む静かな洋館のようにも見えてくる。

3階分ある建物なのだが、1階分は地下になっているので周辺の木々よりも高さが抑えられている。そのため圧迫感や威圧感がなく、名古屋市科学館のように圧倒されるような感覚には陥らない。入りやすい雰囲気だ。

 

 

モネ それからの100年

 

つまり、モネは印象派ではなく、あらゆる現代美術の生みの親ではないのか?
アンドレ・マッソン、1975年のインタヴュー)
-名古屋市美術館開館30周年記念 モネ それからの100年:中日新聞(CHUNICHI Web)

 

会場やHPで掲げられた、この言葉。
印象派が生まれる前夜、アカデミーが絶大な権威を誇った時代。刻一刻と姿を変える光を追い求め、アカデミーの言う「良い作品」から逸脱した印象派が、現代芸術に繋がったのだという 。

「モネ それからの100年」は、印象派の旗手たるモネに焦点を当て、彼自身の芸術の深みや彼が他の作家に与えた影響を見ていこうという構成になっている。

 

例えば2章では光を捉えんとするモネの努力・研鑽をうかがい知ることができる。

隣り合って並んでいた「チャリング・クロス駅(1899)」や「テムズ河のチャリング・クロス駅(1903)」、「霧の中の太陽(1904)」など分かりやすい。
どれも構図自体は似ているが、そこに描かれる光や空気感は全く異なる。
「チャリング・クロス駅」は重たいモヤの中、柔らかく水面に反射する光、
「テムズ河のチャリング・クロス駅」では光の中で浮かび上がる煙の輪郭、
「霧の中の太陽」では卵の黄身のように濃厚な太陽と陽光できらめく水面、
三者三様の光と光によって浮かび上がる形のないものを見ることができる。
後者2つは特に気に入って、何度も行ったり来たりしながら眺め見た。

その時ふと気になったのだが、来館者多くが進入禁止の柵やラインに沿って平行移動していた。
別に絵画をどう見ようがその人の勝手ではあるのだが、印象派の作品は画面上に置かれた色同士が互いに作用しあって新たな色が生まれる。
ギリギリまで寄って見続けるより、一歩でも二歩でも引いて見る方がよっぽど楽しいと思うのだが・・・・・・
実際に「どう描かれているのか」に注目したい御仁ばかりの時に行ってしまったのだろうか。離れて見やすかったから、ぼくとしては良かったのだけれども。

 

 

ロビーと常設展

「モネ それから100年」は1階と2階の展示室で行われており、地下の展示室では常設展が行われている。

美術館に置かれている家具や小物は、名作と呼ばれるものを使っていることが多い。
名古屋市美術館も例外ではなく、ロビーや展示室内に置かれているベンチ・チェアもバルセロナチェアなどバウハウス由来の名だたるものが並んでいる。普段はショールームに行くことすら躊躇われる家具に、遠慮なく座れるいい機会である。

ワシリーチェアに腰掛け、ハンマリングマンとその後ろに広がる緑に目を細めながら、企画展で疲れた身体と頭をリフレッシュし、常設展に向かうのがお決まりのコースだ。

 

名古屋市美術館のコレクションは「郷土の美術」「エコール・ド・パリ」「メキシコ・ルネサンス」「現代の美術」の4つの柱で成り立っている。

現代芸術は抽象的でイマイチ理解できず、好きになれないモノが多いが、
名古屋市美術館所蔵の現代芸術は見ていて楽しいもの、驚くものが多くて好きだ。
今展示されているものだとアンゼルム・キーファー氏の「シベリアの王女」と庄司達氏の「白い布による空間 ’68-6」が鮮烈に記憶に残っている。

メキシコ・ルネサンスの展示では、公開中の映画「リメンバー・ミー」を意識してか
メキシコの死者の日に関する作品、陽気な骸骨たちの姿が描かれた作品、が多数展示されていた。
新聞の挿絵など版画で刷られたものが多かったが、市井で出回っている印刷物ってどうしてこうも魅力的なんだろう。飾っているんだけれども、(画家が作っていなかったり、予算や技術的・技法的な制約があるからか)飾りすぎていない感じが良いんだろうな。

 

 

さいごに

「モネ それからの100年」は7月1日まで名古屋市美術館で開かれている。

美術作品というと何が描いてあるか理解できない、文化的教養がないと理解できないし、自由に見ればいいと言われても・・・・・・という御仁は多いと思う。ぼくもそのひとりだった。

でも無理に教養的なろう、知識を増やそうと肩肘張らず、ふら〜と見に来て
ただ「この絵は色が綺麗だな」「この絵はなんだかカッコいいな」って
SNSでいいね!を押すような感覚で見てるうちに何だか楽しくなった。
それでもっと深く、多角的に知りたいと思えば図録や市販の美術の書籍を買えばいいのだ。(中野京子女史や原田マハ女史の著書が読みやすく、わかりやすい)

知識を得るための勉強ではなく、ただ綺麗なものを見たい、カッコいいもの素敵なものを見たい、それぐらいの軽い気持ちで美術を見てもいいのだ。
モネら印象派の作品は、ただ目の前の風景を描くことに苦心した作品が多く、神話や史実が描かれた近代より前の作品よりも見やすい。

気軽な美術鑑賞の手始めに、「モネ それからの100年」いかがだろうか。