何者にもなれないぼくたちは

日々思った事、やってることの備忘録

旅の荷物がしっくりこない

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旅の荷物を見るのが好きだ。

高城剛さんのLIFE PACKING、無印良品のWHERE to GO、niko and...のTRAVELER`S、飽きもせず何回も読み返している。
こんな便利グッズがあるんだ、こんな使い方があったんだという発見があるのはもちろんのこと、制限があるなかで連れて行く旅の荷物にはその人らしさ、アイデンティティが垣間見える。
その個性がおもしろくって見るのかもしれない。

自分の旅の荷物がしっくりきていない、というのも見る理由のひとつだったりする。
自分は何者でもなく、旅で何をしたいのかをわかっていないから、他人の個性に惹かれるのかもしれない。
自分の荷物を見返すと、なんだかその他大勢と同じ、テンプレートじみた品揃えだなと思う。

自分の旅の荷物に違和感を覚えたり他人の旅の荷物を見始めたのは、高校生の時。自分の意思で旅や荷造りをし始めた頃だ。
それまでの旅は、学校の旅行は「しおり」のとおりに荷造りしていたし、家族や友達との旅行は「自分のモノ」って言えるものがなく、服とゲーム機ぐらいしか持って行かなかった(当時はスキンケアすらしてなかった)。
高校生になって、SSH(スーパーサイエンスハイスクール)で国内外に行くようになった。その頃からカメラを持ち歩くようになったし、自由時間があるから制服も私服も持っていく。研究発表用の資料や小道具もあってかさばりがちなので、持ち運びやすい荷造りを意識するようになった。
そうやって正解がない荷造りをし始めてから、ずっとしっくりきていない。
まさか荷造りで自我形成の憂き目にあうとは・・・。

「自分らしさ」について、心に残っている言葉がある。
『四月は君の嘘』でピアノの演奏のなかに自分がいないと悩む公生にかけたかをりの「君はどうせ君だよ」というセリフ。

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見返してみると、無印良品とniko and...でそれぞれ同じ方が登場しているのに気がついた。

www.muji.net

archives.nikoand.jp


高城剛さんも初代LIFE PACKINGから2冊目で、持ち物が刷新されている。壊れたからとかよりよいものが出たから買い替えもあるけど、全く新しいものが増えていたり、減っていたりもする。
個性的にみえていた人たちも自分の荷物にしっくりきていないのかもしれない。大人に見えていた人と同じ年齢になっても思ったほど大人になれていない感覚だろうか。
しっくりきていなくて自分らくないと思っていても、外から見ればぼくも憧れていた方々も「どうせ自分」なのかもしれない。
そう思うと気が楽になる。

 

(最終更新: 2020/4/5)