何者にもなれないぼくたちは

日々思った事、やってることの備忘録

【感想】春風のエトランゼ 4巻

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 紀伊カンナ先生の『春風のエトランゼ』の4巻がでた。
「心洗われるようなBL」の呼び声たかく、劇場化アニメの公開も9/11に決まっている、人気BLシリーズの最新刊だ。


エトランゼシリーズは読み切りの『海辺のエトランゼ』のシリーズ化が決まり、
続編として『春風のエトランゼ』がonBlueで連載されている。

正直なところ、『海辺のエトランゼ』で完結していればよかったと思っていた。
儚げな雰囲気をまといながら、どこか苦しみを感じる、実央と駿、2人のストーリー。
『海辺のエトランゼ』ですでに完成された世界だった。

シリーズが続くほどに作風が変わり、好きだった儚げな世界が変容していく。
それでも作品のクオリティは高く、「いとおしい日々」を祝福せずにはいられない。
引き裂かれるような苦しみを感じていた。

最新4巻も、また辛い思いをしながら読み終わるんだろうなと思って手に取った。
でも読み進めるほどに、感情が高まっていくのを感じる。
4巻目にして、やっと気がついた。
『春風のエトランゼ』は実央と駿の物語じゃない。みんなの日々の物語なんだ、と。


4巻は思春期・反抗期まっただ中のふみに軸足をうつして物語が展開される。

反抗期のモヤモヤした感情って、本人にとっては生きるか死ぬかぐらい大きなもので、でも本人がいちばんよくわからないものだ。
案外そとから見ると、原因がハッキリしてたりもする。

思春期・反抗期を適切に、鮮やかに捉えている紀伊カンナ先生の実力もすごいが、
ふみや彼を取り巻く環境が、とても豊かに描かれているから、
ふみの思春期ならではの苦悩、もちまえの素直さ、そして少年期の一瞬のきらめきを
見守ることができる。


『海辺のエトランゼ』はふたりの物語だった。
『春風のエトランゼ』にもおなじものを期待して読んでいた。けれど描かれていたのは「愛おしい日々の」群像劇だったのだ。