【季刊・至点の視点】ぼくらが旅に出る理由【2018冬至】
ブログを読んでいると、週間や月間で記事の振り返りや総括をしているサイトがいくつかある。ぼくのブログは更新頻度が低く、速いペースでそういった記事は書けない。
だが筆者からすればブログの方向性を確認できるし強く訴えたい記事を再提起することができるし、
読者にとってもどういった記事があるのかサッと確認できる。案外見落としている記事があったりするので利点が多いように思える。
そういうわけで、4半期ごとに総括の記事を書こうと思う。題して「至点の視点」。
初回の今回は「ぼくらが旅に出る理由」をテーマに、旅に関して記事の総括をする。
コラム
「ぼくらが旅に出る理由」。小沢健二氏の名曲はタイトルだけ引用される場面がよくある。曲自体もいいが(Rinkuのアレンジ版が好き)、なかなかに印象的なタイトルだ。
旅行は非戦時最大の産業とも言われる。でも旅行に行く理由って一体なんだろうか。
旅の荷物
スナフキンのセリフに「長い旅行に必要なのは大きなカバンじゃなく、口ずさめる一つの歌さ」というものがある。身軽さを好む彼らしいセリフだ。
日本では東日本大震災を契機に「ミニマリスト」や「断捨離」という考え方が広く普及した。持たないことが実は豊かなのだと、何もない部屋で暮らす人もいる。
知らず知らずのうちに長い年月をかけて出来上がっていく部屋と違って、旅行の荷物はその都度パッキングする。その時々の荷物に対する考え方が如実に現れる。
断捨離の目的は、自分が望む暮らしを明確にし贅肉を捨てることだ。部屋に限らず、旅行の荷物でも断捨離は行える。
では旅の荷物の焦点はなんだろう。
北海道旅行では身軽でいる事と移動時間を快適にする事を重視した。
車を使わないひとり旅だと、どうしたって荷物が邪魔になる。重いと疲れるし、どんなにかさばっていようと自分一人で荷物の面倒を見なきゃいけない。軽量であればあるほど持ち歩きやすいし、小さめのコインロッカーでも預けられる。でも長時間過ごす船や電車のなかではのんびりコーヒーでも飲んで景色に目を細めたいなとタンブラーを持っていった。
USJに行った時は荷物選びに失敗し、不便だった。カメラを使うことを第一に荷物を再考したが、やはりここでも快適性のために荷物を極力減らした
ぼくにとっては荷物を減らすことが万能鍵のようだ。
2018年の旅
旅行は風神雷神図屏風を目当てに京都は建仁寺、モエレ沼公園がある北海道を訪ねた。風神雷神もモエレ沼公園も中学校の美術の教科書で見て、ずっと憧れていたものだ。
コラムで書いたところの好奇心を満たすため旅行だった。
旅の映画
グッバイ、サマー
旅の映画で真っ先に思いついたのがこの映画。ミシェル・ゴンドリー監督の2015年の作、「グッバイ、サマー(原題: Microbe et Gasoil)」。ストーリー自体はふたりの少年が手作りのクルマに乗ってひと夏の旅に出るという、特筆すべきところが無いものだが、フランス映画らしい色彩とフランス語独特の囁くような喋り方、瑞々しく青い少年の夏が巧みに描かれているのが印象的な作品だった。
(以下、ネタバレ含む)
多感な少年少女の旅を描いた映画(映画だと短い時間で描くので旅なのか冒険なのか曖昧だけど)では、旅を終えひと回りふた回り成長して日常に戻ってくることが多い。
本作でも例に漏れず多感な少年らが旅に出る。主人公のダニエルとテオは、それぞれコンプレックスや枠にはまらない性格から学校で浮いた存在で、特にダニエルは周りと自分を比較して、自分の個性ってなんだろうと悩む、実に思春期の少年らしい少年だ。妄想と現実が陸続きに展開されるのも身に覚えがある・・・。
主人公ら(主にダニエル)の心情や置かれた状況が映像に色彩となって描かれているのが特徴的だった。旅に出る前、ダニエルの日常がブルーグレイの色彩を伴って描かれる。しかし旅を続ける中で次第にキラキラと色づき出し、ダニエル自身伸び伸びと成長していく。
月並みな作品だと、ここで大きな事件があってキラキラしたまま日常に戻っていく場合が多いが、本作はそうではない。強制的に大人にならざるを得ない状況や、成長しても所詮は子どもだと突きつけられる場面で今までの爽やかな色彩から一変して、再びブルーグレイ、それも冒頭よりも灰色が重くなった色になる。
どこまでも薄くした青色をした哀愁ある後味が、観て3年経つ今でも消えない。