何者にもなれないぼくたちは

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「100日後に死ぬワニ」に対する嫌悪感

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はてなブログ トップのおすすめ記事に、「100日後に死ぬワニ」に対する嫌悪感についての記事が上がっている。

lady-joker.hatenadiary.jp

zuisho.hatenadiary.jp


ぼく自身「100日後に死ぬワニ」を見て、なんだかなと思ったクチだ。ただ記事で言及されているようなコンテンツで金儲けに対する嫌悪ではなく、物語の描き方そのものに対して嫌悪感を覚えた。グッズ化や書籍化について記事を読んで初めて知ったぐらいだし・・・。

 (この辺りがネタのピーク)

 

死を軽く扱いすぎではあるが、100日後に死ぬことがわかっているからこそ面白いコンテンツではあった。

ただ100日目が腑に落ちない。
100日目までの間ほのぼのとした日常が描かれ続けていて、100日後にどうやって死ぬんだろう、どうして死ぬんだろうというのが謎としてあった。
100日目に死にはしたが、しかしその死の状況はハッキリ描かれず、謎をはぐらかされた形で終わった。非常にモヤモヤする。

同じようにモヤモヤした作品がある。住野よるさんの「君の膵臓をたべたい」だ。
このギョッとするタイトルが、本書の最大の謎になっているが、ワニ同様に「死」という重たいテーマを扱っているのに、死に対する態度や書き込みが薄く、肩透かしを食らった印象だ。

ワニと膵臓の主題は「死」である。「死」は重いテーマであるから、それ以上のドラマやトリックがなければ陳腐な作品になってしまう。小林賢太郎さんはこうした表現は「乱暴な表現」であり、ちゃんとしたクオリティでやってのけるには相当のセンスがいると断じている。
全くそのとおりで、ワニの結末は非常に雑で実力不足を感じずにはいられない。
作者は日常が理不尽な理由(交通事故)で終わる虚しさを描こうとしたのかもしれないが、死の書き込みの少なさは、ワニに感情移入していた層はもちろん、ぼくのようにワニをミステリとして読んでいた層に対して不誠実な結末と言わざるをえない。

100日間引っ張ってきた最大の謎の答えははぐらかしたことが、ぼくの嫌悪感の理由である。