【感想】映画ドラえもん のび太の新恐竜
※この記事はネタバレと批判が多分に含まれます。
描こうとしたテーマとその方向性は素晴らしい。
ただ中身を観てみると、首をかしげるシーンが冒頭からクライマックスまで続く。
テンポがいいが、気持ちが乗らないまま進んで行く。
宝島やSTAND BY MEに違和感を覚えた人にはオススメしない作品。
監督と脚本の傾向
のび太の宝島の監督・今井一暁氏と脚本・川村元気氏が再びタッグを組んだ作品。
宝島は以下の7つの特徴があった。
- 大山版の映画ドラを下敷きにしたオリジナルストーリー
- テンポがよい(バラエティ番組並み)
- クライマックスのギミックの伏線をわかりやすく張っておく
- テーマに対する書き込みや演出が弱い
- OPの省略
- ひみつ道具の説明はない(おそらくテンポのため)
- 感動の押し売り
1〜4は本作でも、踏襲されている。
OP映像が流れたが、本編なのかOP映像なのか判別つけづらいものだった。あれならないほうがまだマシだ。
ひみつ道具の説明はきちんとなされている。
感動の押し売りは、何故かのび太が泣きながら叫んでいるシーンはあるが、なんで泣いてるのかわからないし、
感動させてやるという気概は感じられなかった。
テーマについて
製作陣がテーマのひとつして掲げたのが「多様性」だ。
インタビューによると、よくある「弱者と共存しましょう」という話に違和感を覚えており、
本作は「多様性」と「進化」と結びつけたそうだ。
ただ、冒頭で述べたとおり、テーマに対する書き込みが弱い欠点がある。
「多様性」というテーマに気づいたのも、映画観賞後にインタビューを読んで気づいたぐらいだ。
本作では「飛べない」キューがテーマの鍵を握る。(キャラの概要は公式HPなりWikipediaを参照してください)
結末を言ってしまうと、「ミューや他の仲間たちは滑空して飛んでいた。だけどキューは羽ばたいて飛んでいる! 恐竜から鳥への進化だ!!」というオチになる。
しかし作中では「飛ぶ」か「飛ばないか」にしか焦点が当たっておらず、
いきなり「どう飛ぶか」ディテールの話をされてもいまいちピンとこない。
恐竜に詳しい人なら翼竜は滑空するものだって知っているだろうが(正確に言うと翼竜は恐竜ではない)
たいていの人はそうではない。
クライマックスの手前で、多様性を描くためか、しずかがのび太に、「痛みがわかる(中略)のがのび太さんのよさよ」みたいな話をするシーンがある。
「勉強や運動ができる」というマジョリティの考えに対し、「人間性」という全く別のベクトルの個性を褒めている。
なによりドラえもんシリーズは、伝統的に自分たちとは違う存在との共存や協力が描かれてきた。いつものメンバーでもスネ夫のズルくて臆病なところも、ジャイアンの乱暴で自己中心的なところも、『ドラえもん』という作品になくてならないものになっている。
無意識のうちに仲間のダメなところを個性として尊重してしまう。それはキューの飛べないところも同様だ。
そんなわけで「キューは飛べないけど、他にいいところがある!」という展開が続くものだと思う。
ところがどっこい、飽きもせずこの後もキューを飛ばそうとする展開が続く。
むしろ多様性を否定するような脚本だと言わざるをえない。
つっこみどころが多すぎる
テーマに至るストーリー展開もモヤモヤするが、
それに飽き足らず、作品全編を通してつっこみどころが多すぎて話に集中できない。
のび太の努力のなさ。
本作ではのび太の努力のなさが目立つ。自分から決意して行動したり、周りになんて言われようと自分の決意を貫くということがない。
特に冒頭部はのび太の恐竜を踏襲しているので、
否応がなしにのび太の恐竜と新恐竜での違いが目に付く。
のび太の恐竜では、散々バカにされても卵を探し当て、パパやママ、恐竜ハンターを前にしても一歩も引かずにピー助を育て上げる。
新恐竜では、卵は化石発掘コーナーのそばに落ちていて、タイムふろしきで上手いこと卵が孵り、困ったことは化石発掘コーナーにいた博士に聞きに行く。だいぶあっさりしている。
他にも隕石による恐竜の大量絶滅に際して、ドラえもんならなんとかしてくれるでしょと言ったり。
そのくせにキューには飛べるように努力しろと、ずっと言い続ける始末である・・・。
理解できない行動が多い
このキャラならこんな行動しないだろうというシーンも散見される。
ドラえもん一行がケツァルコアトルス(巨大な翼竜)に襲われるシーンでは、キューが追い詰められているのにのび太は離れたところから叫ぶだけ。のび太なら自分の身の危険を顧みず、助けに行くと思うのだが・・・。
さらにクライマックスで再びケツァルコアトルスに襲われたときは、のび太が身を挺してキューを逃したにも関わらず、なぜか泣きながら「飛ぶんた!キュー!!!」
お前はエヴァ第一話のミサトさんかよ!?という一貫性のなさ。
のび太とキューの関係性
のび太とゲストキャラクターの間に絆が芽生えるのは、映画ドラのお約束だ。
正直なところ、のび太が一切苦労することなくキューを育てるので、絆が薄いように見える。(ミューに関しては、飛べないキューを演出するだけの存在)
身を挺して助けに行くこともなく、飛べ飛べ口先で言うだけ。
一応、ふたりともダメダメで似たもの同士という関係を描こうとしているのは伺える。
キューがエサを食べないシーンがある。直前でのび太がピーマンを残すシーンがあり、おそらくのび太とおんなじで好き嫌いが多いことを表現したかったのだと思われるが、
のび太がピーマン以外をガツガツかきこんで食べている一方で、何を差しださてもそっぽを向くキューをリンクさせるのは無理がある。
テーマの項でも述べたが、のび太にはみんなが出来ることはできないけど、他にいいところがあるという評価が与えられるが、キューはみんなができる「飛ぶこと」しか評価指標がなく、やはり両者の姿を重ねることができない。
ドラえもんの言動がブレブレ
ドラえもんが舌の根の乾かぬうちに、言動を変えているシーンも多く、モヤモヤする。
のび太は恐竜の卵を孵すと言ったとき、ドラえもんはまず反対した。「生き物を育てるのには責任がいるんだよ」と。
ところがのび太にねだられた途端に「大きくなるまでだよ・・・」とGoサインを出す。
のび太が責任をもって育てるという所信表明をしたわけでもないのに、だ。大きくなったらどうするか決めないのも、気になって仕方がない。
つづいては物語中盤。キューとミューの仲間を探している最中、痕跡が途絶えてしまう場面がある。
手分けして探そうという提案を、一度危ないからと突っぱねた直後に、特に説得されたわけでもないのにジャイアン・スネ夫が別行動を認める。
測ってないけど、10秒ぐらいの間のできごとだったと思う。記憶回路壊れてない?
終盤にも気になる場面がある、
地球に衝突した隕石の熱波で、キューや白亜紀の恐竜たちが絶滅するシーンで、のび太は時を戻せる逆時計を使って隕石の衝突をなかったことにしようとする。
それは歴史を変える犯罪だからと、タイムパトロールとドラえもんは、一緒になってやめるよう訴えかける。
言うことを聞かないのび太に対し、タイムパトロールがのび太くんの手足を縛った途端に、「のび太くんは逮捕させないぞ!」と見得を切る。
変わり身が早すぎる。
ピー助
いちばん許せなかったのが、ピー助を出したこと。
いや、ファンサとしては嬉しいのよ。でも雑なの。
のび太の恐竜2006で、ピー助を送ったのが1億年前の日本。本作の舞台は6600万年前。
ピー助の背中だけ映して、「あれもしかして、ピー助の子孫かな?」ぐらいに匂わせるなら、憎いことするなぁ!って思うのに、
ご丁寧にボールで遊ぶ回想シーンに、気絶してるのび太を見つめ、あげくクレジットにも「ピー助 神木隆之介(特別出演)」と。そのくせのび太が目を覚ますのもまたずに去っていく。
3400年の差ァ!!!???!?
観客は完全にピー助だって認識しているから、その後の隕石による熱波が迫り来る中で恐竜たちを救えるか!?という手に汗握るシーンも、地上の恐竜たちにしかフォーカスが当たらず、思い入れの強いピー助の安否が気になって、全く集中できない。
グレーなので、つっこみポイントとまではいかないが、少しモヤっているところがある。
F先生は生前、映画ドラえもんの約束事として「一般社会に、いっさい影響を残さない」というルールを掲げている。
本作では、のび太たちが恐竜の進化の一部に直接関与している。
ふつうの日常において影響を及ぼすようなものではないが、現実世界にまでおよぶ関与なのでかなり黒に近いグレーだと思う。
子どもが「ノビザウルスが鳥の祖先なんだよー」とか言い始めたらいたたまれない。
冒頭から気にかかるシーンが多くて物語に集中できず、しかも物語自体も何を描こうとしたのか不明瞭。
作品に仕組まれたギミックがいいだけに、脚本の雑さが惜しい。